「作品が大衆に押しつぶされてはいけない」と思うと同時に、それでも糸井さんは「作家や芸術を育てるのは、裕福でない一般大衆だ」と信じている。「『これでもいいや』程度にしか思えない物に囲まれていると、自分が見える世界がどんどんやせていくと思う」
少し背伸びをしたり、手に入れるのに時間がかかったりしても、気に入った物に投資することで、作家が物を作り続けられる環境を生みだす。「それは結局、自分たちの世界をすてきにすることにつながる。同じ趣味を持った人が集まって、どんどん“会員制”っぽくなるかもしれないですね」
少し背伸びをしたり、手に入れるのに時間がかかったりしても、気に入った物に投資することで、作家が物を作り続けられる環境を生みだす。「それは結局、自分たちの世界をすてきにすることにつながる。同じ趣味を持った人が集まって、どんどん“会員制”っぽくなるかもしれないですね」
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京都新聞2010年7月27日―聴流「コピーライター・糸井重里さん 大量作品ではない「作品」を」より引用
パトロン不在の現代:審美眼をもった少数の特権階級が贅沢の極みで物を作らせる時代から、大衆がパトロンを担う時代になり、安さばかりが求められてしまう。でも、私たち一人一人が「すてきだな」と心から思えるものを見つけ、大切にすることによって大衆のグループがパトロンとして作家を支えることもあるのでは、という話し。
ここでは「作家」の話がされているけれども、「作家」を「お坊さん」に置き換えて考えても同じことなのかもしれないと思う。「このお坊さんに修行がんばってほしい」「このお寺を大事にしたい」と思う気持ちが、お坊さんやお寺を支える場面が出てくるのではないか。たとえば、いまの小池龍之介さんの在り方は「会員制」に近い気がする。
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