医師で僧侶(?)のある先生が、体験を通して、手術や治療は、結局、老病死を数年先送りしているだけだと思うといわれました。それはまったくその通りと思いました。ところがその後で、医療により長生きできたなら、その長生きの目的は、永遠の命(無量寿仏=阿弥陀仏)と出会うためで、そして、今日も一日無事に過ごせたことに感謝して、「南無阿弥陀仏」とお念仏し、いつお迎えが来てもいいという心境になることが大事というようなお話でした。

これはお釈迦様が説かれた「生死を超える道」ではありません。この世で生死を超えること(解脱)できなかった人間(凡夫)のための救済の道です。本来、仏教はこの世で「なぜ生死するか」をさとり、煩悩をなくすように努力することを説いています。人生はただ健康で長生きすることが目的ではありません。どう生きるかが問題です。『ダンマパダ』では、こう言いきっています。

  素行が悪く、心が乱れていて百年生きるよりは、
  徳行あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。110 
  怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、
  堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。  112 
  不死の境地を見ないで百年生きるよりも、
  不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。114 
  最上の真理を見ないで百年生きるよりも、
  最上の真理を見て一日生きることのほうがすぐれている。115 

人生の尊さは長さでは決まらないわけです。
ちなみに、現代では長生きすることは、必ずしも幸せではありません。延命治療でチューブだらけで「生かされて」、死なせてもらえない苦もあります。死んだ方がましと思って、死んでも、また生まれます。