つまり私が言おうとしていることは、いかなる宗教であろうとそれを信仰するかしないかは個人の自由であるということです。個人がどのように宗教を選び、信仰するかということもまた個人の自由なのです。ゆえに崇拝の対象が神であろうと悪魔であろうと、それはその人が満足のいくように選べばよいことです。
ここで問題となっている霊の信仰については不利益となることがあまりに多く、利益となることはひとつもない――と申し上げるのは私の義務です。 義務であるがゆえに私はネガティブな面を強調してきたのです。
私の意見に耳を貸すか貸さないかは、人々が自分で考えて決める問題です。この質問を提起してくださった中国人の友人であるあなたが、もしシュグデンに関心をお持ちなら、シュグデンの霊に礼拝するかしないかはあなたの自由です。
しかし、飛び込むまえにはまず適切な検証が行わなければなりません。通常、チベット仏教徒は「師を純粋な心で受け入れたうえで、師が信仰する宗教を隅々まで完全に検証しなさい」と言います。
つまり、宗教は検証を受ける必要があるということです。これについては、ナーガールジュナをはじめとする古代のナーランダー大学の学者も手本を示しています。彼らは、たとえ釈尊の言葉であってもそれが真実であることを突きとめるために検証を行ないました。『大乗経典』に説かれている四つの法義、「法四依(ほうしえ)」では、“仏法によりて人に依らざれ”と説かれています。つまり、情報を鵜呑みにせず、自分で調べて分析することが、みなさんにとっても非常に重要なのです。