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この準備会は本当に何のしがらみもありません。木村さんも書かれていましたが、
地域も宗派も バラバラです。あるのは佛教に対する情熱だけです。
だからこそ、皆がすぐに仲良くなって、様々な話で盛り上がれるのかも知れません。
しかし私は、毎回感じることがございます。
準備会への行きは、必ずと言って良いほど面倒な気分になります。
『サボったろかな~』という気持ちで家を出ます、
が帰宅したときは、参加してよかったと言う爽やか気分で帰ることが出来ます。
『サボらんでよかった』と思いながら、休むことが出来ます。
逆の気分になることが多い中、出席してよかったと思いなおせる会合は、
結構少ない気がします。
なぜ、このような気持ちになるのか不思議に思うのですが!
それほど、佛教に情熱を持った人たちが集まっているからでしょうか?
ボーズ・ビー・アンビシャスとは、上田先生が何かを教えてくれる場所ではないとよく言われます。
参加者同士で、学びあい教えあう場なのでしょう!
それを考えると、準備会もBBAの一部ではないかと思えてきました。
私が京都の中央仏教学院という僧侶の専門学校在学中、寮
の先輩から一冊の本をいただきました。それが上田紀行先生
の「がんばれ仏教」でした。
あまり本を読まない私ですが、「一僧侶として自分は何がした
いのか」、「自分には何ができるのか」、と日々どこか悶々とし
ていた私にとって、何よりも興味深く、面白い本でした。
「こんなにエネルギーに満ち溢れたお坊さんが全国にはたくさ
んいるんだ」ということを知り、わくわくしたことを今でも覚えて
います。
毎年東京のお寺で二度開かれる「BBA」のことは、その時知
りました。宗派を問わず若手僧侶が意見や情報を交換できる、
もちろん興味はありました。
ですが、「東京かぁ…。遠いな」という気持ちに勝るほどの情熱
がなかなか湧かず…
そんな折、とある法要に講師として来られていた上田先生に自
分の境遇を話したところ、「ぜひ一度東京のBBAに参加してく
ださい」との言葉をいただき、ようやく今年の6月参加してきまし
た。
そして気付きました。
志の高い若手僧侶がたくさんいることに…
自分がこれまで他宗派の僧侶をどこか偏った目で見てしまっ
ていたことに…
なにより行動することの大切さに…。
とても勉強になりました。
その刺激的な集まりをぜひ大阪でも、と動き出したのがBBA関
西です。まだまだ人数は少ないですが、アットホームな雰囲気が
私としてはすごく心地いいです。
宗派の垣根を超えて、これからのお寺、僧侶の在り方とは何な
のかを考える。私にはすごく新鮮で貴重な場となっています。
日本で観光名所となっている寺院等で、信仰している姿を見ることは稀であるように思います。
昨今、「日本は仏教ブームである」という話を聞きますが、それは単に観光として寺院に訪れている人々を指して、ブームといわれているにしか過ぎないように感じます。
そのように、日本とインドの宗教に関する意識の違いを痛いほど感じていた最中に出会ったのが、上田紀行氏「がんばれ仏教!」でした。
仏跡巡礼の旅は移動の時間が非常に長く、半日バスに揺られるのも珍しくありません。
その移動中に「がんばれ仏教!」を読み終え、私が抱いた感情は「期待」でした。
大学に入学し、「無宗教」や「宗教離れ」を知り、仏教に対し危機感を抱き、現代社会諸問題に対する仏教の実践に疑問を持ち、仏教の社会実践に対し考えてはいたのですが、どうしても「私の実践」の答えを導くことは出来ませんでした。
私は何をすれば良いのか、私に何が出来るのかと自問を繰り返すだけで、明確なものが見えなかったのです。
そうするうちに、坊主は結局ただお経を称えることしか出来ないのではないか、とも考えました。
そんな私に、「がんばれ仏教!」は一つのヒントを与えてくれました。
私は今「坊主は何でも出来るチャンスを持っている」のではないかと期待しています。
22歳になってもまだまだ未熟者で世間知らずのため、社会の厳しさ、構造も大して知ってはおりません。
今後、社会実践に取り組む上で、必ず大きな困難にあうこともあるでしょうし、大変な失敗もすることでしょう。
しかし、今抱いている感情を大切にし、今後の取り組みのエンジンにしていきたいと思っています。
インドから帰国して間もなく、霜尾君の紹介でBBAと関わるチャンスをいただきました。
私はまだまだ大学の中で、「教義として」しか仏教を知りません。
今後BBAに関わることで、仏教者の社会実践について、宗派を超えた先輩の方々から勉強させていただきたいと考えています。
「私は坊主です」と誇りを持っていえる日がくることを目指して。
ちなみに私は浄土真宗の僧侶という肩書きであるが、人が仏教に触れてもらった先には皆に浄土真宗に入ってもらいたいとはぜんぜん思わない。浄土真宗を必要とする人が浄土真宗を依りどころとすればよいのであって、別の枠組みで取り組みたい人は曹洞宗でもテーラワーダ仏教でも何でもいい。私も禅の本に共感することがたくさんあったりする。もっといえば、優れた方法論があるのであれば仏教でなくたっていい、もしあるのであれば。どの道で近づこうとも、その先にあるものは変らず待っているはずだ。いろいろ試してみてもいいし、他の方法論から学んでもいいだろう。所属グループ間のイデオロギー戦争になることは本末転倒なので避けたいが。
私は7年前に本願寺で得度してからこれまでしばしば「僧侶としてどうあるべきか」ということを考えることがあった。僧侶であるということはどういうことか、僧侶として社会の中でどう行動すべきか、など思い悩んだこともあった。しかし今は、その問題意識はほとんどなくなった。少なくとも自分の中では、私は僧侶ではなく在家の仏教徒であり、一人の人間であり、たまたまこの不可思議な世界に生まれたひとつのいのちに過ぎない。今私は、そういう者がこの世界でやるべきことをやっていけばいいだけなので、僧侶としてとか仏教徒としてとかの理念的な動機はもうどうでもよくなってしまったのだ。ただ、私のやるべきことをやるには仏教の僧侶という肩書きがあったほうが仕事上都合がいいので、矛盾をはらんでいながらもある意味で最もウソの少ない「浄土真宗の僧侶」という立場でやらせていただいている。
ひとつだけ注意しているのは、ともすれば「浄土真宗の僧侶」は「そのままでいい」を強調しすぎるあまりに怠惰な生活に流れてしまったりしがちなので、その点はせめて「僧侶」と社会的に認識される仏教徒として振る舞いを糺すことを心がけていきたいと思っている。たとえば、私はもともと大酒飲みであったが、今はもう1年ほど一滴も飲んでいない。執着しているものを捨てるのは最初はなかなかつらいものだが、中途半端に「一杯だけ」などとすると惰性が出てくる弱い人間なので、いっそのこときっぱり止めてしまった。お陰で有効に使える時間も増えて心身共に健康的な生活になり、朝は早起きをして仕事もはかどるようになり、失敗も少なくなった。不飲酒戒が五戒に入っているのには理由があるのだ。よし、この勢いで、もう一生飲まないこととする。と書いてしまった以上、私はそれを実行しなくてはならない。不妄語戒=ウソをついてはならないという戒もあるのだから、真剣な仏教徒でありたいと言う私の言葉が軽くては話にならないだろう。頑張ろう。
イスラム世界には、カトリックなどで見られるような形での宗教的な「権力機関」も特定の「聖職者」も存在しない。イスラム指導者は、あくまでも「学者」であり、神によって定められた「聖職者」ではない。中央集権的なヒエラルキーも、それによってランク付けされた聖職者も存在しない。従って、唯一絶対の統一的な見解というものも存在しない。
イスラム教徒は、数ある見解の中から自分にとって「一番信頼できる」「しっくりくる」と思うものを選んでそれに従えばよい。ファトワのデータベース化によって、セカンドオピニオン、サードオピ二オンを知ることができるのは、イスラム教徒にとって、実に都合のよい仕組みなのだ。
さらに、ネットサーフィンすれば、短時間で著名なイスラム知識人たちの見識を収集することが可能だし、最近では、コーランはもちろんのこと、預言者ムハンマドの言行録であるハディースを収録したデータベースソフトも広く出回っている。普通のイスラム教徒が、こうしたものを活用して、自分なりの解釈をすることも不可能ではない。
僕たちは今まで仏教に関心がなくてお寺に足を運んだこともないような若い方人と、対話をできる場を作りたいと思ったんです。布教使なのでお寺に呼んでいただいて法話をさせていただく機会はありますが、今は高齢化が進んでそれもだんだん少なくなってきているんですね。親鸞聖人の御法事、報恩講が浄土真宗では一番大きな場ですが、それでも法話の時間がだんだん短縮されてきていて、お参りに来られる方の数自体も減ってきている。そうやってどんどん少なくなってきている法話の場をもっと作って、伝統ある法話の場を開拓したいと思ったんです。
お寺で待ってたらダメだと思うんですね。待っていたらこういう状況に追いつけないですから。バーでお坊さんとお酒を飲みながら仏教の話を楽しんで欲しかったんです。お寺には儀礼空間としての良さもあって、日常から出て非日常の空間を味わえますが、仏教ってそれだけじゃないと思うんです。お酒を飲みながら仏教のイベントをするとは思い切ってるねと言われたりしましたが、お酒があると若い人たちとも本音で語り合えるようになってすごくおもしろいんですね。
セカイ、蛮族、ぼく。
伊藤計劃
「遅刻遅刻遅刻ぅ〜」
と甲高い声で叫ぶその口で同時に食パンをくわえた器用な女の子が、勢い良く曲り角から飛び出してきてぼくに激しくぶつかって転倒したので犯した。
ひどい話だと思う。ぼくだって好きこのんでこんなことをしたわけじゃない。なんで彼女の制服を引き裂いて無残にも彼女の純潔を奪わねばならなかったかというと、それはぼくが蛮族だからだ。